タイトルに意味は無いです、はい 書籍
佐藤亜紀
文藝春秋(文春文庫)
私は基本的にハードカバーを買いません。昔はハードカバーを買っていたのですが、本を汚したくないという思いから、本を読む時には手を洗うという癖がつき、それが高じて人が自分のハードカバーの本を読む時に手を洗わなければ怒るなどほとんど悪癖に近くなってきたためと、文庫本より場所を取るためにハードカバーを買うのをやめてしまいました。しかし、佐藤亜紀の小説だけはハードカバーでも買います。なぜなら、文庫にならないかも知れないからです。
ハードカバーで『天使』が出た時はすぐに買いました。案の定、マイナーな作家なので、一冊置いていたけれど売れてしまったのか始めから置いてなかったのか、梅田の紀伊国屋にありませんでした。Amazonで取り寄せ、開けてびっくり。表紙がざらついており、真っ白な地色に天使の黒文字。すぐに汚れそう。読む時には手を洗うのを念入りに、他の本から奪ってきたカバーをかけ、汚れないように恐る恐る読んだのでした。その時読んだ『天使』の内容は、細かいところまでは覚えていません。汚れないように気を使っていたためと、実に中の紙の質感(ぶっちゃけ触り心地)が良かったことで、字面だけ読んで終わっていました。今回、書店で偶然に文庫を見つけ、すぐさま購入し、読み直しました。
前置きが長くなりました。
内容は……
混迷を深める第一次大戦前夜のウィーン。天賦の"感覚≠持つジェルジュは、異能者を集めた諜報組織を指揮する"顧問官≠ノ拾われる。自らの"力≠ノ翻弄されつつも、やがて彼は"選ばれし者たち≠フ壮絶な闘いの中へと身を投じて行く。
(裏表紙より抜粋)
自分がこの古びた残酷な世界に抱いている愛着にはじめて気が付いた。野蛮な、敵意に満ちた、立っているだけで傷だらけにされてしまいかねない世界が、崩壊を前に、恐ろしいほどの美しさを顕にした気がした。コンラートのことを考えた。僕達は負けたんだ、と思った。この世界が滅びて新しい世界が生まれるまで、たぶん、手酷く負け続けるのだ。
(本文より抜粋)
同じ感覚を持つ同志たちとの慎み深い交歓に萌えっ。
佐藤亜紀
ブッキング
一度新潮社から出ていたのですが、とある事情で廃刊となり、それがブッキングから復刊されました。とある事情というのは、著者が新潮社と縁を切るというものだったのですが、詳しいことは、『鏡の影』『佐藤亜紀』『日蝕』『芥川賞』『平野啓一郎』あたりでぐぐればでてくるかと……
1975年、日本。N***県は共産主義国として日本から独立、町にはソ連兵が常駐するようになった。元資本家として県を逃亡した父と、違法酒販売・売春宿を経営している母を持つ主人公は、町にいられなくなる事件を起こし、幼馴染の千秋とゲリラの一員となる。そこには伍長と呼ばれる運を味方につけたようなゲリラがいた。
……こう書くと、泥臭い話に見えますが、著者の語り口調が淡々としているためか、泥臭さは感じません。最初の方から笑わせてもらいました。お涙頂戴ストーリーが好きな方や、主人公の「私」がいう、ページの真ん中に見えない水平線があり、それから下はほとんど書いていない本に慣れている人にはつらいかも。
個人的に面白かった箇所は、フビライの腕の腕時計と伍長の最後のシーンです。戦争に関しては……著者の書いている戦争の雰囲気がそのまま戦争の雰囲気であるとは思いませんが、少なくとも、ゲリラに関しては同意できるなぁ。
シェンキェーヴィチ
木村彰一 訳
岩波書店
上中下三巻本です。岩波文庫だから読みにくいだとうと思ったら、一晩で全巻読み切りました。
読んだきっかけは、作品の中に、脇役ですが、重要人物としてペテロとパウロが出て来るから。でも、結局、ペテロが逆さ磔で死んだという描写はありませんでした。(´・ω・`)ペテロが逆さ磔になる所を書いた小説はないのかなぁ。
話の内容自体は大河ロマンです。映画化されたんじゃないかな。ヒロインが捕まった辺りから、助けられるのか助けられないのか、随分気を揉むことになりました。ネロが馬鹿殿。ペトロニウスはかっこいいですね。
遠藤周作
新潮社
『イエスの生涯』の続編で、こちらはイエスの死後に弟子達がどう考えどう行動したかを書いています。
ペトロの弱さ、パウロの周りを省みない一途さ、原始キリスト教教会の発展と受難など、新約聖書では、使徒行伝にあたる部分になります。ちなみに、これはアマゾンで取り寄せたのですが、取り寄せる間に、ペトロって逆さ磔になって殉教したんだよね……と、確認のために使徒行伝を読みました。残念ながら、そういう記述はなかったです。
内容は……前作に引き続いて面白かったです。こんな見方ができるんだなぁと感心しました。歴史が好きな人、キリスト教を知っている人は読んで楽しいと思います。
遠藤周作
新潮社
宗教にはまったわけではないですよ。保守的傾向が強くなってるだけです。
最近は本屋さんに行っても、新しい作家に手を出すより、昔読んだことのある作家を選んでしまいます。遠藤周作も、『死海のほとり』を読んだことがありまして、その時に『イエスの生涯』と合わせて読むといい……とかなんとか聞いたようなことがあったのです。で、薄いし、文庫本だし、読みにくい作家じゃないので買ってみました。(*'-'*)
まぁ…この後に、『キリストの誕生』(遠藤周作)とか、『新約聖書』とか、『クォ・ワディス』(シェンキェーヴィチ)とか読んだので、なんとなく……宗教にかぶれたか?!と誤解されそうだなぁと感想を書くのを渋っていました。小学校から大学までミッションスクールでしたし、キリスト教に抵抗はないのですが、家は浄土宗なのですよね〜。
とまぁ、そういう事情はおいといて、
感想です。キリスト教を知らない人にはなんのことか@@?な感想です。(笑)
遠藤周作の考えるイエスは、奇跡も起こさず、人々が勝手に彼に昔のメシヤを期待し、人々が勝手に幻滅してイエスから離れて行った、弟子達も一人として理解したものはいなかった、ユダを除いて、とありました。ユダはイエスを理解して、自分と相容れないが故にイエスを売った……ここらへんの想像はさすが小説家ですね。わたしはやっぱり深読みせずに、お金のためじゃないかなぁと思います。
最終章の「謎」では、小説家の立場を貫きたいためか、イエスが実際に「復活」したとは書いていませんが、それを匂わせています。どうして他のユダヤ教の他の預言者と違って、イエスは後に(それも死後それほど経たずに)神とあがめられたのか?……考えてみると、不思議な宗教ですね。